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こんにちは!カトウです。

当ブログ「100smile」を始めるにあたって「まずはサクっとプロフィール作っとこ。」と、書き始めたのですが…

「意外と色々あるやん…!」

なんてことになりまして。

せっかくなので、管理人カトウタケシがこれまで歩んできた全人生を振り返って、縁あって読んでくれた方が僕と同じように迷走に次ぐ迷走を繰り返すことがないように、反面教師にしていただくために一つの記事として綴りました。

本当に洗いざらい晒したので、大変長文となっていますがご容赦ください。

サクっとしたプロフィールだけで良いという人は、コチラをご覧くださいませ。

それでは、参りましょう!

幼少期~小学校

東京都世田谷区にて3人兄弟の末っ子として誕生。

世田谷での記憶はほとんどなく、幼少期の大半は、東京都中央部のベッドタウンとしては比較的緑の豊かな稲城市で過ごしました。多摩ニュータウンってやつです。平成狸合戦ぽんぽこ。

そんな環境と両親の優しい愛に育まれたおかげで、のびのびとしたマイペースな僕の性格の基礎が形作られていきます。

自分で言うのもアレですけど、この頃の僕はメチャメチャ可愛かったです。

ギターに目覚める、中学~高校時代

中学校に入って間もなく、同世代の間ではGLAY・ラルクなどJ-POPの全盛期。友達と「バンドやろうぜ!」ということで盛り上がり、父が貰ってきてくれたモーリスのアコギ(今でも愛器)で猛練習。

勉強は頑張ればそこそこ出来る子でした。部活の野球部も一応レギュラー。時間を見つけてはギターを弾いて歌ってと、あっという間に毎日が過ぎていきます。

高校進学時は普通科の高校と迷った結果、「俺は音楽で世界を変えるんだぁぁぁ!!!」と本気で思っていたので、芸能関係に力を入れている東放学園の高等部1期生として入学。

思春期あたりからものすごくシャイな性格となってしまいましたが、多様な学生の集まる自由な校風と、ライブや演劇で舞台に上がる機会が多かったことも幸いして、徐々に思い切りの良さや持ち前の明るさを取り戻しました。

勉強はほとんどしなかったので、学力でいうと中学レベルで止まってますw

順風満帆に青春を謳歌しているようですが…

中学校くらいからとても強くコンプレックスに感じていたことがあります。

それはどこを取っても「平凡」なこと。

音楽の世界を目指していたことも余計にそう感じさせたのでしょう。僕が「良い!!」って思うときって大抵、欠点を補って余りある素晴らしい個性を感じるときだったりします。

自分にはそんな「光輝く何か」が見つからないことに、とても劣等感を感じていました。

そんな悶々とした想いを、大人になってからもしばらくは引きずっていました。

バンド活動に明け暮れる、高校卒業~20代前半

高校卒業後は、ギターを専攻しつつ音楽理論やDTMを学ぶために、渋谷の専門学校に進みました。雨の日も風の日も、ギターを抱えて原付で通う毎日。

しかし、飛び抜けて上手でもなければ、ぶっ飛んだ個性もない。理論のクラスではそこそこの成績でしたが、そんなことだけで音楽のプロになれないことがわかってしまったので、プロミュージシャンという道は断念。

それでも音楽の道を諦めきれず、「良い曲を書いてバンドで売れてやるんだ!」と、方向転換してがむしゃらにバンド活動に明け暮れます。

しかし、バイト・曲作り・練習・ライブという目まぐるしい毎日を続けているうちに、ついに心が折れました。

今までの人生を肯定する為に、意地になって続けている自分に気づいてしまったんです。「もういいよ。」って自分に言い聞かせて、肩の荷が軽くなったような感覚を今でも覚えています。

そこから先は、いわゆる一般的な「普通の幸せ」を手に入れるはずでしたが、本当の暗黒時代はここからが始まりでした。

迷走の20代後半

バンドを辞めてからは就職をして色んなことをやりました。

しかし、そのほとんどが夢中になれないことばかり。仕事をするのは好きなので、プライベートではビジネス書も読むし、交流会などにも積極的に出かけるけど、「自分はこれ!」ってものが無いというコンプレックスがつきまとい、そんな自分が本当に嫌でした。

今では、それも含めて「自分らしさ」だなと思える。かけがえのない財産です。

転機、20代終盤

あれよあれよと時間は流れますが、少しずつ世の中の変化は感じてました。

2011年3月11日以降、目に見えて「食の安全」「環境」「福祉」などの社会問題に対して解決しようという動きや多様な価値観が広まったように感じますし、実際に自分の意識も徐々に向いていきました。

そして、「自分も社会の役に立つことがしたい」と思って、趣くままに色んな情報に触れました。

そんな中、2つの出会いが転機となります。

1つ目は農業との出会い。

漠然と農業に関心は抱いていたものの、まだ飛び込もうなんて考えてはいない時期に、自然栽培(農薬・肥料を使わない農法)の農業者が集った「農フューチャー」という団体の講演に出かけたときのこと。

そこで見たのは、農業につきまといがちな「3K」的なイメージはかけらもなく、こだわりの農業についてイキイキと語る姿でした。

「なんて楽しそうなんだ!」と、心から思いました。

ここで、消えかけていた心の火がもう一度灯り始めました。

2つ目は「たまTSUKI」との出会い

池袋の片隅にあるオーガニックバー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」(通称「たまTSUKI」、2018年3月末に減店)。

知人の勧めで初めて訪れたのは2014年10月でした。

そこでは、「お金を稼ぐ為だけに嫌な仕事を続けるよりも、ほどほどの収入でも豊かな時間を過ごすこと」を「ダウンシフト」という言葉で提唱する店主の髙坂勝さんをはじめ、多様な生き方をする素敵な人達と出会いました。

すごく肯定的な場所というか、集まる人は個性的だけど調和している空間というか。

バンドを辞めてからは「早く普通の幸せを手に入れなきゃ!」と焦りながらも、そうなれない自分が嫌になってましたが、「ありのままで良い」「やりたいことはやってみれば良いんだ」という気持ちになれました。

この体験も後押しして、農業の世界に飛び込む決意をしました。

ちなみに、最愛の妻ともこの時に出会いました!

カトウ、農家になるってよ。30歳~

付き合い始めたばかりの妻を東京に残して、2015年の春から山梨県北杜市のとある有機農場に研修生として入門。

今考えると、妻には本当にヒドいことをしたなとつくづく思います。今まで見捨てないでいてくれたことに心から感謝してます。

「絶対にモノにして、彼女と幸せになるんだ!」と意気込んで乗り込んだ農業の世界。

しかし、ここでも待っていたのは試練の日々でした。

研修先を間違えました。

はじめのうちは、「農家の世界は厳しいんだから、このくらいは当然。へこたれてはダメだ!」と言い聞かせていました。

しかし、純粋に農業について質問したことに対して、「生意気なことを考えるな。言う事を聞いていれば良いんだ。」と一蹴され、日に日に顔を合わせるたびに睨み付けられたり、「お前のこと、嫌いなんだよ」などと罵声を浴びせられたり。気が付けば農業の技術をほとんど教わることもなく、ただただ朝から晩までハードな肉体労働を繰り返す毎日となっていました。

「このままではマズイ」と心が悲鳴をあげ始めたころ、他の有機農場や自給農を営む人達に触れることがあり、「他にも道はあるよ」ということを知って、救われたような気がしました。

3ヶ月という短期間で研修を断念

辞めた直後は「また俺は逃げたのか」という自己嫌悪。誰から言われることもなかったけど、「やっぱりダメだった」「彼女を幸せにするんじゃなかったのか」「お前は何をやっても中途半端だな!」「カッコわるっ!!」という声があちこちから聞こえるようで、本当に心が腐りそうになりました。

しかし、今考えると本当に辞めて良かったと思えるし、良い経験になったことに感謝もしています。

もしこれから「農業をやりたい!」という人が読んでくれていたら、僕の数々の失敗経験は記事にしていこうと思うので、ぜひ反面教師として参考にしてくれたら嬉しく思います。

「東京NEO-FARMERS!」、そして農業法人との出会い

東京に戻ってからというもの、就活をしながらも農業への想いは諦めきれず、地方の農家さんを訪ねたり、農業法人の就職先はないかと探したりしました。

そんな中、東京都の新規就農者が中心となって、就農希望者と情報交換をしているという「東京NEO-FARMERS!」の定例会(という名の飲み会w)に参加させていただき、その中で唯一の有機農業を営む青梅市の農業法人と出会います。

そして、ここからようやく僕の人生にも光の欠片が見え始めます。

「無農薬・無化学肥料・固定種」目指していた農業

話は驚くほどトントン拍子に進み、2015年4月に設立したばかりという有機農業法人に、その年の10月より入社。

創業期ということもあり何もかもが試行錯誤の連続でしたが、そのベンチャー的な「良さそうなことはやってみよう!」という社風も好きだし、肌に合っていた。

そして何より、「無農薬・無化学肥料・固定種中心」で、かつ「自然栽培、あるいは土壌を汚さない完熟させた堆肥を使う」など、自分の目指す農業の片鱗がそこにはありました。

「俺のやりたかった志事は、コレなんだぁぁぁ!!!」って感じでした。

畑仕事はもちろん、販売でも事務でも、種取りでも大工仕事でも。とにかく何をやっても楽しくて仕方ない。スポーツでいうところの「ゾーンに入る」っていうのは、こういう状態なんだろうと思う。いつも仕事のことに夢中でした。

そして、入社翌年にはこれまで破天荒極まりない僕を暖かくも厳しく見守ってくれてきた妻とも入籍。忙しくも幸せな日々がようやく見えた気がしました。

しかし、人生とは不思議かな。再び転機が訪れます。

そもそも「安定なんて存在しない」と思い知らされる

勤め始めてちょうど2年経つ頃のこと。突然、親会社から資本が切られることになりました。

「え?」

というタイミングです。事業計画の正に半ばというところでした。理由は結局のところわからずですが、わかったことは「これが会社勤めだけに頼ってきた結果」ということ。こうして収入源が一瞬にしてなくなることがあり得るんです。

新たな出資元・融資なども決まらず、迫られた選択は「給料が出せないかもしれないが続けられるか?」でした。

妻に相談するまでもなく、僕の答えはNOでした。

今度は移住するってよ。32歳~

農業法人を辞めてから、この結論に至るまでには然程時間はかかりませんでした。

僕も妻も、実現したい暮らしは決まっていました。それは「農のある暮らし」だったり、「お金だけに頼らない暮らし」だったり。

そして、「心が開ける心地よいコミュニティ」の必要性も感じていました。

青梅は良い街ですが、2年間模索した結果、何となく違った。そして、青梅にいる必要もなくなり、もっと言えば東京にいる必要もない。

じゃあ、何処に行こうか?と、いうことで候補は色々と出たけど、これもすぐに結論は出ました。

千葉県匝瑳市に移住します。

1~2年程前から、訪れるようになった千葉県匝瑳市。

2017年からは、「NPO法人 Sosa Projectさん」が開いている、「マイ田んぼ」という年間プログラムで手仕事のお米作りを学ばせていただいてます。

田植えから収穫まで、東京都青梅市からほとんどを下道で、片道4~5時間かけて通いましたが、不思議と辛いことなんてなく、むしろ本当に楽しかった。そして、もっともっとこの地域に関わりたいと思うようになってました。

そうして迎えた転機だったこともあり、退職後に改めて「これからどんな暮らしがしたい?」と夫婦で話し合えば、二人揃って匝瑳を思い浮かべていました。

本来的な「生きる力」を身に付ける。「心地良いコミュニティ」と共に生きる。そんな暮らしを求めて、加藤家は千葉県匝瑳市に移住します!

最後に伝えたいこと

いかがでしたか?我ながら、サクセスストーリーの一つもないなと驚きます。そのくせこの長さ!w

しかし、そんな凡人な僕だからこそ、同じように生き方について悩んでいる人に向けて伝えたいことがあります。

それは、

  • 人生は、何があっても大概は何とかなる。
  • 自分の人生に責任を持てるのは自分だけ。だったら、自分らしく生きよう。
  • 決まったカタチの幸せなんてない。それぞれの「自分らしい」幸せがある。

ということなんです。

大きな成功、地位名誉、他人からの絶大な支持などなくても、僕は幸せです。

「自分はこんなダメだから…」とか関係なくて、誰にでも幸せになれる権利がある。縁あってこの記事を読んでくれた方は、どうか何事も決め付けないで、自分が幸せを感じる瞬間を少しずつでも増やしていってくれたら大変嬉しく思います。

このブログではこれから、管理人カトウの「今の自分らしさ」を交えて、それを見つけるために考えてきたことや、実現するためにやっていることなどを発信していきます。

若き日の僕のように、思い悩んで悶々と過ごしている人のお役に立てれば、この上なく嬉しく想います。

これからも、よろしくお願いします!!!

 

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